クロストークは、司会役の日本産業デザイン振興会理事の青木史郎氏の幅広い視点と当意即妙なコメントを織り交ぜながら和やかに進められた。
青木:まず、横川さん、今日のお二方のお話をお聞きになって感じられたことをお聞かせ下さい。
横川:日本もまた欧米と同様に、インドやフィリピンを生産国としてしか見てきていなかったが、実は、アジアは、自分たちの想像以上に大きく変化している。つまり、ローカルな伝統的なものを持ちながらグローバルなものとリンクした捉え方をしていて、むしろ日本よりも先を見ているなあと感じました。
青木:当初、展覧会・アシアンデザインコレクションは、経済産業省から対日輸出促進の観点から新しいプロジェクトと考えていたんです。しかし、これを経済と文化の問題として捉えた時に、初めて新たな展望が出てくるのではないでしょうか。アジア地域で、工場設置以外、日本は殆ど文化的な活動、経済的な活動には参加してきていません。日本は、アジアのうねりを知らないか無視して、やや鎖国状態に陥っているのではないでしょうか。また、インターネットで世界がモノカルチャーに向かい、退屈なものになってしまうというお話がスジャタさんからありましたが、新しい動きとして、どうしていけば良いでしょうか。スジャタさん、その部分のお話を詳しくお聞きかせ願えますか?
スジャタ:グローバル化の欠点の1つは、全世界が均質化していくことです。西欧では、アメリカ、イギリス、オーストラリアそれぞれのデザインの違いを明確にすることはできません。同じ言語、同じボキャブラリーが広くまん延していますから一般の人には識別し難いのです。アジアには、まだ多様性がありますが、世界を旅すると、街は一見異なって見えますが、建物は、段々均一化されてきています。なぜなら、国の工業が発達すればするほど、工業が進んだ国に互いに似通ってくるからです。私たちは、多様性が生活をおもしろくしてくれるという点に関心があります。どの国にいっても、同じような店があり、同じブランドがあり、同じようなものを買い、ではつまらないでしょう。無論、グローバル化の良い面もあり、インドは、このプロセスによって経済的に大きく恩恵を受けています。が、私は、デザイナーは地域のアイデンティティに解決を与えることができるのではないかと考えています。ですから、長期的展望に立って違いを発信し続けていく努力をしていくつもりです。
ご存じかどうか分かりませんが、私はスリランカのデフティバウアという建築を素晴らしいと思います。これは、その地固有の光、空気、気候等へ配慮をしながら、現代性を具現しています。ケネスの作品も、何といっても、地域に固有の素材を用い、何百年もかけて培われた彼ら独自の伝統的工芸テクニックと職人の力量を駆使してモダン感覚で製品を作り出し、新しいマーケットを開発しています。こういう独自性を持ち続けようという努力が大切と思います。
青木:ケネスさん、ヨーロッパで仕事をしようと思っていたが、フィリピンに戻られた点を、グローバル化、均質化、あるいは、文化、新しい部面構築ということに照らしてお話を。
ケネス:アジアは、日本以外いまだ生産地域として見られています。私の挑戦は、自分たち独自のアイデンティティを見つけることです。展覧会をご覧になるとお分かりのように私たちの国には、自生する地域独自の天然素材があります。アジアに特別なアイデンティティを見つけたいのです。
会場からケネス氏へ質問:
(1)デザインするに当たっては、あらかじめ具体的事象を見て、ヒント、インスピレーションを得てなされるのか?
(2)「歌舞伎」という作品があったが、フィリピンから見て日本の伝統である「和」との違いや類似点は?
ケネス:私は、文化を含め色んな所からインスピレーションを得ています。自分のマーケットは主に西欧ですが、アジア(名前、デザイン、文化)をインスタレーションとして使っています。デザインは行為であることと絡ませ、曲線的な竹のパターンから、歌舞伎という名を思いつきました。デザインする時は、フィリピンとかタイとかいう特定のデザインではなくてアジアのデザインというものを考えています。
会場から横川氏へ質問:
今、日本にアジアンスタイルという流行があるが、アジアといっても色々あり、異なるスタイルをどのように取り込んでいったら良いか?自分の職業柄、アジアの生活をうまく日本の生活に取り込む良い方法があったら知りたいのですが。
横川:難しいですね。アジアのものとひと口に言ってもまとまっていかないですね。ものを作っていくときに、ベースになっている文化の背景、気候、素材がすごく影響しています。表面的に理解しないで、個々のアイテムが何故そうなのかを理解する努力をし、自分なりの取り込み方をすることが必要でしょう。
香港の方から横川氏へ質問:
横川氏のお店は欧米風だが、日本人に向けてライフ・エディティングの提案をするというなら、何故日本的アイデンティティや日本らしさを取り込んでいかないのですか?
横川:日本のデザインという前に、良いデザインの在り方やデザインを生活の中に取り組むことを目指しています。デザインといっても、本物のデザインや、そうではない、残っていかないデザインもあります。これから、国内外の仲間のデザイナーや生産者の方々と一緒にものを作っていきながら、日本以外の国から自分が学んだモノづくりにおける文化を、逆に外に向かって作っていきたい。世界にものを売っていけるようなルーツを作っていきたいと考えています。
ソルダイ・リー氏(韓国)からスジャタ・ケシャバン氏へ質問:
スジャタさんのおっしゃられるインディアン・イディオムやターゲットとされているものに関するお話に大変感銘を受けました。5、6年前に、私が、韓国的要素を持ったデザインを国内のクライアントに提案した際、彼らはむしろ西洋的あるいはスカンジナビアンデザインのものを欲しがりました。インドのクライアントは、インディアン・アイデンティティとかインディアン・イディオムを主張する貴方のプロダクトをどう考えていますか?
スジャタ:仕事によって異なります。国外市場をターゲットにするITセクターなどは、西洋と肩を並べていきたいから、文化的アイデンティティを主張したがらないでしょう。会社のスタッフもインド出身者ばかりではない事情もあります。もし、クライアントが、インディアン・イディオムの主張に興味を示さないのであればそのようにはしませんが、その機会に恵まれれば、私は環境や方言等を反映する仕事をしたいですね。但し、私の15年のキャリアの実績から、クライアントに私が良いと思うデザインをプッシュすることはあり得ます。
会場からデザイナーの役割に関する質問:
日本のデザイナーは、文化的芸術的であろうとし、商売をすることについて罪悪感を持つ傾向があります。これについて、どうお考えでしょうか?
ケネス:おかしなことに、アジアでは、工場を持っているデザイナーの作品が、面白い作品として仕上がっています。例えば、自分の椅子には、千個以上の結び目を作って仕上げていますが、自分の工場がなければこういう仕事はできません。デザイナーは、自分の作りたいものを作れる工場を持ちたがります。
スジャタ:芸術家としていくか、ビジネスとしてデザインを行うかは個人のスタンスの問題でしょう。インドは、ビジネスに関わるデザイナーが多いと思います。私の仕事は、クライアントのビジネスに直接関わっているから、何故自分がクライアントから仕事の依頼を受けたかその理由を常に考えます。だから、クライアント、ビジネス背景、産業界全体の環境をよく見て、デザインの提案を行っています。インドは資源の乏しい国ですから、クライアントのお金がもっとも有効に費やされるように、私は一生懸命努力します。デザイナーとして美的デザインを追求すると同時に、クライアントの要求と仕事の依頼の理由に応えられるように心を払っています。
青木:お二方がおっしゃったことは極めて当たり前のことですが、日本ではそのような言い方をしてこなかった点に問題があります。
会場からスジャタ・ケシャバン氏へ質問:
デザインは、生活や価値観までをも変化させる力があると思います。今後、デザインが介入する領域は?
スジャタ:デザインから恩恵を浴びていないものは何もないと考えています。どの人もデザイナーであり、日常のものごともデザインから成り立っています。広く見ると、人生も暮らしもどの学術分野にも全てにデザインが何らかの形で関わっています。ただ、プロのデザイナーを、私は、美意識を持って「常識を実用化」する人と考えています。良いアイデアからデザインは生まれ、アイデアは経験と自身の脳裏での出会いから生まれますから、良いデザイナーになるためには、異なった物事に意識して常に自分をさらしていく。異なったソースを察知する力を持つことです。
ケネス・コボンプエ氏から会場へ質問:
日本は、建築、ファッション、料理、文化では、メジャーな担い手なのにも関わらず、プロダクトデザイン分野で日本の活躍に目立ったものがないのはなぜですか?
会場:それに関しては、1つには学校教育の負の成果と思います。だから、自分は、将来、教育に携わっていきたい。
青木:これは、産業化社会型の限界が来ているのにも拘らず、デザインというより企業モデルが出てきてないというのが主な原因ではないでしょうか。
会場からケネス・コボンプエ氏とスジャタ・ケシャバン氏へ質問:
ケネスさんの作品で、素材の生かし方が綺麗なカタチを生み出しているのが印象的でした。ケネスさんから見たフィリピンの良いところと日本の良いところは?また、スジャタさんから見たそれらは?
ケネス:日本人は正直で礼儀正しい。日本はモダンですが伝統も強く息づいていると思います。フィリピンの人々は、貧しいけれどハッピーでいつも笑顔で人なつっこいです。自分が感じるこの国の美しさと文化を自分の仕事に取り込んでいきたいと思います。
スジャタ:インドは、いろいろな文化の坩堝で言語も料理も州によって違うし、古代文明の地でもあります。文化、文学、ダンスも音楽もすべて躍動的でいきいきし、民主主義が広く行き渡り、報道は自由で、人々は思ったことを言います。西欧にも住んだことがありますが、インドほどエキサイティングなところはないと思っています。
日本では、美意識が生活に根づいています。生活の多くの場面で細やかな気配りがなされ、入念で繊細な印象があります。正確さと上品さが文化の中に息づいている感じです。モダンさを取り込みながらも、沢山の強い文化的アイデンティティをよく残していると感心します。
青木:最後の締めとして、横川さんに「スローモーションの哲学」についてお話をお聞かせ願いましょう。
横川:スローモーションの哲学は、自分にとってもテーマの1つです。
先ほどのケネス氏のご質問の「なぜ日本にプロダクトデザイナーのスーパースターが生まれないか」を、インテリアを扱う自分が考えるに、まず、日本人は自分の家に人を招待して食事する時間を持たない世界で唯一の国民であること。つまり、それは、あまりにも高度成長の中で日本全体が急いで進んでいったがために日本人の中に多重人格になっている部分があるからではないのか。仕事をする自分、家族といる自分、友人といる自分、今の自分、昔の自分など。速く進んできたために、或る一個には専門的だが、色んなことを繋げた時に繋がらない状況を招いているのではないか、と。それで、デザイナーのことを言えば、作り手と使い手との両方のことを理解してバランス良くデザイン出来る人が少ない。一方で、デザインを良く理解しない経営者を始め他人が口を挟むケースが多くて作り手にフィールドを与えない。その結果、消費者に本来なら繋がって伝わるべきデザインが伝わらない。お互いのフィールドを任せ合い、分かち合い、交流する。色んなものを繋げバランスを取っていくのがデザイナーの役目であると思う。そういう意味で、私はスローモーションの哲学を考えています。日本は、「ウサギと亀」で言うとウサギで急ぎ足で進んできてしまっている。良い意味で止まって戻って自分たちが見失っているものをもう一回拾い合う。ソウルのプロジェクトを見学した時、そのことを改めて実感して、壊しながら進んでいくのではなく護りながら、皆さんと一緒に街づくり国づくりをやっていきたいなあと今思っています。
青木:最後に会場の特に若い方々に申し上げたいのですが、先ず台湾やフィリピンとか日本の外に出て、自分の目を少し広げてアジアをちゃんと見て貰いたい。そこから、日本の問題が良く見えてくるだろうし、それが日本のデザインをうろうろしないきちんとしたものにする第一歩になるんではないでしょうか。今日は、皆さま、ありがとうございました。
▼POWER TALK第1部で行われた3スピーカーのプレゼンテーション講演要旨
「ライフエディトリアルの視点」- 横川正紀
「伝統技術から新製品を発想するフィリピンのモノ作り」-ケネス・コボンプエ
「「インドはブランド」世界市場進出を図る処方箋 」スジャタ・ケシャバン・グハ
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「デザインチャレンジ最前線」スジャタ・ケシャバン・グハ