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小田昌範(Leader) / 青柳創 / クレイグ・フェインバーグ / 松永結実
訪問家庭での取材画像にテーマに沿った加工を施しながら、経験された〈HOME〉を構成する要素をダイジェストで紹介してみせた。家の物理的な側面ではなく、日々の暮らしの“当たり前”が〈HOME〉であり、器としての家よりもむしろ人と人との関係性と、そこで経験される“こと”の重要性を強調し、「家なんていらないかもしれない」とする懐疑も突きつけて見せた。この文明の歩みに対するある意味挑戦的な見解に対しては、パネリストからは少々とまどいの反応もあがったけれども、彼らの出した答えには従来のモノに偏りがちであった世界に対する人間的なるものの復権の思いが見え隠れしているようにも思えた。
1. 問いかけ
あなたにとっての「HOME」とは?
それは目に見えることかもしれないし、簡単にカタチにできないことかもしれない。
大事なものは人それぞれ、十人十色。
でも、もっと大事なのは「みんな違う視点で見てること」そのものだったりして。

2. タイトル
「not [house] but…」

3. それぞれのお家とダイアログ

・ Part1:Kawasaki house(川崎さん家)
「大きな家なので、掃除が大変なんですよ」
「とても賢い猫なんですよ」

「みんな動物が大好きなんです。」
「海外の方も温かく迎えます」

「ダイニングにいつも人が集まるんですよ」

「畳の上に絨毯を敷いて使っているんですよ」

「庭のお手入れも大変なんです」

・ Part2:Saito house(斉藤さん家)
「私の他に5人の住人がいるんですよ」
「この部屋は日当たりがいいんですよ」
「みんなでよく集まったりします」
「男の子は住んじゃだめだけど、彼氏は遊びに来ます」
「私の作品見ますか?」
「お友達がよく遊びに来たりするんです」
「いつでも遊びに来て下さいね」

・ Part3:Matuura house(松浦さん家)
「実はまだ引っ越したばかりなんですよ」

「部屋が狭いとストレスになるんです」
「余分な広さが必要なんです」

「サッカーが趣味なんです」
「2度、日本一になったことがあるんです」

「大きな問題はありません」
「奥さんがいつもそばにいるから」

4.
結局、いちばん気になったのはインテリアでもなく文化でもなくほんのささやかなこと。
そこに住む人のふとした表情や、他愛無い会話、差す光。
偉い答えじゃなく、そこらじゅうに転がってる当たり前のことが私たちの [HOME]。

そして、いつの間にか居心地が良くなったこのチーム。
いつも冗談ばっかの会話、だけどさりげない心遣い。
極上の贅沢。
「家なんて要らない」って簡単には言えないけれど、いつか言えるぐらいの…
・人物やペットをモザイクのような縁取りをしていた画像処理が面白かった。

・「ただいま」、「お帰り」は着と発の共通点。

・家は形ではない。形であらわされるのではなくて、その雰囲気、人と人との関わりだと私も思う。旅行から帰ってきて「あー家がやっぱり一番いい」と思えるのは、その空間に形ではなくほっとする空気が流れているからだと思う。

・家はいらない、自分たちが「家」だという考えに共感した。

・映像は、コンセプト聞いて意図が分かった。そのコンセプトならば、「その家の住人のみで構成された映像」がであった方が伝わると思います。当事者が出ているので「?」がついてしまった。

・「自分のHOME≒大切なもの」を人物、動物だけトリミングして、家、物ではなく「人」だとした点が興味深い。やはり「人」あってのHOME(家)≒家庭 であり、そこでのコミュニケーション(何気ない日常の)を言葉とビジュアルで表現できていた。

・家はいらないという意見で、近代化が進み、家族という共同体すら消えようとしている今、新しい「イエ」という概念があるのではと考えさせられた。

・「家なんていらない」という表現-TeamAを含めて究極的な表現、対象を選んでいる。

・字が小さくて読みにくかった。抽象的で、人の動きばかりの写真でしたが、結論を聞いて納得しました。かえって質疑応答の方が興味深かった。

・チームのメンバーが仲よくなったことがよく分かるプレゼンでした。背景を切り取ったプレゼンテーションが面白かった。

・家なんていらないというのは、難しく考えずに、簡単に考えた結果だと思う。この考えが本質だと思う。なぜなら日々の生活は難しいことなど考えないから。

・「家」という物質的な建築物にこだわらす、人と人との関わりが、もう「家」を意識させるというところ。たとえ豪華な家に住んでいても、その中に住んでいる人たちの関わりが薄かったら「家」を意識できないが、人と人との関わりが濃ければ、小さな家に住んでいても本当の意味で「家」を意識できるというところ。

・家の中身に視点を向けず、家という要素の根本をそこに住まう人に向け、映像として展開していた。We are home.

・形ではなく心。さりげなく日常の中からhomeが築かれているという結論が興味深かった。

・人間の関係の中でのhome。形、デザイン、物理的なものではなく、人々の関係の上でhomeができあがるものだ。
ペットを飼っている世帯
2、3人の友人または他人の集まりで共有される世帯
バリアフリー対応の世帯(車イス)

 

Team B Leader
ブラザー工業株式会社
日本
ワークショップ初日、私達チームの4人は偶然にも事務所の前にいた。その時は気づいていなかった。会ったのは偶然ではなかった。運命?いや、必然だったのかもしれない。その場に居た4人が後にかけがえのないFamilyになることをそのときは知る由もなかった。最初から「ただいま」だったのだ。
毎日違う場所に集まったが、そこが私たちのHomeであり、毎日が「ただいま」だった。
ワークショップ全参加者とすばらしい日々を過ごすことができた。このことは一生忘れないだろう。ただ残念なことは、皆と別れなければいけないということだった。寂しくてしかたがない・・・そんなことを強く思ってしまうほど、皆すごくイイ奴だった!絶対にまた会おう!
このすばらしいチャンスを与えてくれたことに感謝します。ありがとう!
WE ARE HOME!
東京芸術大学
日本
多くの人と思考する時間を共にできたことは、
私にとって素晴らしい体験であり、発見だった。
当り前だと思っていたことが、ふいに新鮮なものとなって
私の前に現れてくる。
我々の周りにある物事の見方、これらを見直していくことこそが
デザインの行為、そのものかもしれない。
グラフィックデザイナー・FABRICA
イタリア
私は西から東へとやって来て、素晴らしいチャレンジができた。新しい土地、人々、文化、食事、そして習慣。使う言語は異なるが同じように聞こえる言葉もあった。日本を訪れることは、私のまだ浅いグラフィックデザインにおけるキャリアの中でも初めての経験であった。さらに、新しい人たちと出会い、若い才能たちと共に仕事をすることができた。
ワークショップで私の日本の近代的、伝統的な生活様式への見方は変わった。自由時間には過去から現在までの歴史的な建物を見て楽しむことが出来た。
今日私たちはあらゆる方面での問題解決に目を向けなくてはならない。仕事や取材、創作活動、写真、文書の作成においても。
最終的に、私たちは解決法あるいは方策を見出すことが出来た。これから先も連絡を取り合いたい仲間もできたし、国際デザインセンターにファブリカを紹介することは良い経験にもなった。そして講演やグループ作業を楽しむことが出来た。
最後に、このワークショップでの写真は400枚にも及んだのだ。
名古屋芸術大学
日本
「あなたにとって、HOMEって何ですか?」
喜怒哀楽が混ざり合い、人間の体温で包(くる)まれた、心の拠り所的存在。それが私の答え。決まったカタチはない。究極の一つでもない。家族や仲間や大好きな場所、お気に入りの物、心の居場所となるもの全てが私の「HOME」となる。
今回、訪問先の方やワークショップのメンバー、たくさんの人それぞれの「HOME」に触れることが出来た。カタチも色もそれぞれにばらばら。だけど、誰でも必ずひとつ自分の「HOME」を持っているのは、それが共通して身体的な安心以上に心の拠り所だからだと思った。人間、支えなしでは生きていけない。さらにただ得るだけではなく、みなさんは元気をもらった分相手にもちゃんとお返しをしているということも分かった。
いつも旅するように流れていたい私は、その居心地の良さに浸かってしまうことが怖くて、何に対しても距離をとる癖があった。でも、与えられるばかりじゃなく、自分もちゃんとお返しをしてはじめて「これが私のHOME」と言えるのではないかと気づいたのだ。

放浪スタイルは変えたくないけど、それでも少しずつ、自分なりにお世話になっているものにお返しをしていきたい。そして一緒に想いを分け合える仲間に出会い、またひとつ、新しい「HOME」が増えたことを幸せに思う。
INTERNATIONAL DESIGNERS WORKSHOP 2004