トルコのグラフィックデザイン

イメージ/オスマン帝国時代のカリグラフィー イメージ/トルコ最初の書籍 イメージ/アルファベットブック イメージ/1930年代の雑誌の表紙
=写真(左から)=オスマン帝国時代のカリグラフィー(書/17世紀)。イブラヒム・ミューテフェリカによる、アラビア文字のアルファベットとトルコ語で記されたトルコ最初の書籍。アルファベットブック。1930年代の雑誌の表紙。今回、「サディク・カラムスタファ 西方アジアのグラフィックデザイン」の初日に行われるギャラリートークでは、トルコのグラフィックデザインが紹介される。



 トルコ語は、ウラル・アルタイ語族に属している。チュルク語(広い意味のトルコ語)に用いられた原初の表意文字(アルファベット)は、突厥(とっけつ)文字とウィグル文字である。トルコ族は元々遊牧の民で、その旅はアジアからヨーロッパの諸地域に及んだ。

 世界史に大きな役割を果たしてきたこの遊牧民の時代、多くの書体とさまざまなアルファベット様式がトルコ語として使われ、10世紀に入り彼らがイスラム化して後は、アラビア書式が用いられるようになった。

 この地を支配した2つのイスラム国家、セルジュークとオスマンは、いずれもアラビア文字を使用し、特にオスマン帝国時代には、素晴らしいイスラム・カリグラフィー(書)が編み出され、秀でた書家を多く輩出している。1727年には、ハンガリー生まれのトルコ系知識人、イブラヒム・ミューテフェリカが、トルコにおける最初のアラビア文字の印刷所を創設している。

 1923年にトルコ共和国が誕生し、オスマン帝国時代の残滓に訣別し新たなスタートを切るべく、国は沸き立った。グラフィックデザインの見地からいうと、1928年に、もっとも顕著な変化―それまでのアラブ書体からローマ字への移行―が見られた。

 著名なグラフィックデザイナー、イハップ・フルシ氏(1896年~1986年)は、1920年代にドイツに学び、最初は画家、後にポスターとグラフィックのデザイナーとして訓練を受けた。その長いキャリアの中で彼は、ポスター、書籍類の表紙、ラベル、ロゴ、宝くじのデザイン、その他数多くのデザインを手がけ、トルコのグラフィックデザイン界の草分けの一人に数えられている。

 1930年代初頭、イスタンブール芸術アカデミーに最初のグラフィックデザイン・プログラムが導入され、1950年には応用芸術学部が設立された。今日では、トルコの多くの大学がグラフィックデザイン教育プログラムを編成している。

 1960年代、産業・商業分野の急速な発展の中で広告代理店が数多く生まれた。規模の大小を問わずこれらの会社にはすべてグラフィック部門が置かれ、今日では、トルコのグラフィックデザイナーの大半が広告業界に所属している。

 1978年、トルコグラフィックデザイナー協会(GMK)が設立され、1993年に国際グラフィックデザイン団体協議会(Icograda)に加盟している。協会の主な目的は、トルコ国内のビジュアルコミュニケーションの高水準化とその推進で、さまざまな活動の他、1981年からは年に1度展示会を主催している。2003年には、協会は創立25周年を迎える。

 1997年以降、イスタンブール国際グラフィックデザイン週間「グラフィスト」が、ミマール・シナン大学の主催で開催されている。Icograda公認のこの「グラフィスト」は、基本的には、デザインを学ぶ学生や、若いデザイナー、デザイン関係者を対象にした教育的なイベントで、国際的に活躍するデザイナーによるレクチャーやワークショップ、展示会、学生と教育者の交流プログラム、出版、その他特別行事などが盛り込まれている。2000年の「グラフィスト」には、日本のグラフィックデザイナー・福田繁雄氏がスピーカー、展示者の一人として参加している。2001年には、イスタンブールで、「日本のパッケージデザイン展」が国際デザインセンターと日本パッケージデザイン協会の協力を得て開かれ、展示作品はミマール・シナン大学に寄贈された。


=写真(右)=ミマール・シナン大学で開かれたワークショップ(1999年)イメージ/ワークショップ


▲TOP▲HOME