《INTERVIEW》
ここに紹介するのは、展覧会/講演会を前にしてうかがったインタビューです。
(インタビュアー:国際デザインセンター 黒田千香子
2000年7月19日、東京、スタジオ80にて)



内田繁氏ポートレート
dcN/今回、名古屋で内田さんの展覧会を開催できること、しかも新作をご紹介できることを大変うれしく思っております。まず、今回のテーマからお聞かせいただけますか?
 
内田/   実は今回「未来」について考えてみたいと思っているんです。21世紀のデザインがどうなっていくのかということを、もうそろそろ明らかにしていいんじゃないかと思うんですね。僕自身が考える21世紀のデザインのスケッチというかエスキースというか、つまり覚え書きのようなものを展覧会と講演会を通じて表現してみたいという気持があります。

未来―21世紀を考えるとき、いくつかのキーワードが出てくるんですね。例えば20世紀がものを固定化していた時代だとすれば、21世紀に我々はその固定化したものをもっともっとフレキシブルにしていかなければならないだろうし、「変化」ということが非常に重要な要素になると思うんです。

デザインって一体何のためにあるのかと改めて考えてみると、根元的なところでは人間そのものをどれだけ解放できるか、ということじゃないだろうか?さまざまな抑圧から人間を解放していくための手続きやシステムがデザインを通して見つけられるのではないか、と考えます。未来のキーワードとして、例えば“重力からの解放”“透明”といった言葉がふっと頭に浮かびますが、いずれにしても人間の精神の解放ということが最も重要です。
 
IdcN/具体的にはどんな作品を発表されるのでしょうか?
 
内田/   今回発表したいのは「場=Stage」をつくるための「椅子―ベンチ」なんです。自由にフレキシブルに動くもので、それぞれのシーンにおいてその場の風景をつくり上げるようなもの、スペースとして成立する椅子を考えてみたい。西洋人の椅子の概念ではなくて、日本人がずっと持ってきた「場」の意識なんです。

「べンチ」というアイデアが浮かんだとき、これは一種の「縁台」ではないかと思いあたったんですね。「縁台」とは可動式の「縁側」であり、「縁側」とは家の内とも外ともつかないふしぎな場なんです。日本人は縁側や縁台で実に絶妙で自由なコミュニケーションを行ってきたと思います。僕がべンチを選んだことには、こうした縁台の持っている可能性への思いがあったのかもしれません。
 
dcN/展覧会にあわせて開催するデザイントークでも「未来論」を語るということで、大変興味をひかれるのですが…。
 
内田/   言葉で「21世紀」とか「未来」とか盛んに使われるけれど、それって一体何なのか。未来とはそんなに簡単には示せないからこそ、逆に皆がエスキースを持ち寄らなくてはいけないんじゃないか。19世紀末も20世紀に向けての実にさまざまな芸術・デザイン運動が生まれたけれど、この20世紀の終りに何か1つでも21世紀へのエスキースが描ければいいなと思っています。

デザイントークでは僕の考えているデザインの未来について、過去からつながる側面も含めてあれこれお話ししたい。
 
IdcN/桑沢塾や電子ネットワーク上のデザインスクールの企画・指導など、内田さんは次世代の育成にも積極的にかかわっていらっしゃいますが、そうした活動についてもお伺いしたいと思います。
 
内田/   僕は若い人から「もの」が生まれてくるのがあたりまえだと思ってるんです。

若い世代がつくり出すものを見極めたいという気持があって、結果的にプロデューサー的な役割が増えてきているのかもしれません。この春のミラノ・サローネでも、世界中の若いデザイナーたちにある種共通したものの見方を感じました。

デザインは、ある意味で“いたずら”の延長線かもしれないね。まだ人が見たことのないものを実現したいというエネルギーに支えられてデザインしている気がします。時代の変化によって、見たことのないものを生み出すことはいろいろな可能性を持ち始めているんです。ましてこの情報化時代には、コンピュータを通じて我々がまだ見たことのないものを山のように探し出せるかもしれない。つまり、デザインとは“発見”、見たことのないもの、おもしろいものの発見なのだと思います。

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