2013.10.01 |
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2009年春、島根県立石見美術館でアメリカの黄金期のアートを紹介する展覧会「アメリカの見た夢 1920-30年代の絵画、写真、デザインと日本」が開催され、国際デザインセンターではこの企画にアメリカン・アール・デコ・コレクション約70点を出品した。
第1次世界大戦後、アメリカでは圧倒的な経済力を背景に大衆消費社会が発達し、産業の発展とともに新しい文化が花開きました。憧れの存在となったこの国 には、ヨーロッパ、また日本からも優れた芸術家や製品が集まり、同時に日本の産業界は貴重な輸出市場から大きな刺激を受けることともなりました。現在のライフスタイルの原点をなすアメリカ文化と日米交流をさぐった同展会場には、ウォルター・ドーウィン・ティーグのスパートンラジオ(1936)を はじめとする当センターの収蔵品が多数展示、優れたアート作品とともに時代の空気感が再現され、その存在感と強さは、アートとデザインの関係性だけでな く、私たちの生活を形成する社会や文化におけるデザインの役割と比重の重さを再認識させるものだった。(IdcN)
アメリカのデザインと日本
国際デザインセンターには、第2次大戦前のアメリカ・デザインの貴重なコレクションが所蔵されている。島根県立石見美術館では、この時代のアメリカをテーマに、「アメリカの見た夢 1920-30年代の絵画、写真、デザインと日本」と題した展覧会を開催した。同センターのコレクションからも、たくさんの作品をお借し頂き、充実した内容の展覧会にすることができた。
展覧会で対象とした時期、また国際デザインセンターのコレクションの大部分が制作されたのは、第一次大戦後に好況を迎えたアメリカが、1929年の世界恐慌から不況に落ち込んでいった時代である。この経済的にも大きく変動したアメリカで、現代の私たちの生活につながるモダンなライフ・スタイルが急速に広まり、洗練されていった。ラジオや冷蔵庫といった家電製品が普通の家庭にまで普及し、街には流線形の自動車が現れた。そして、レイモンド・ローウィやノーマン・ベル・ゲッデスといった工業デザイナーが華々しく活躍したのである。
裕福なアメリカは、すでに当時から日本製品の重要な輸出市場であった。例えば陶磁器メーカーのノリタケは、アメリカにデザイナーを置き、流行をいち早くとりいれた食器を量産し、アメリカに輸出していた。そして、こうした「工芸」が日本にとって重要な輸出品であるとみなされ、1928年に設立されたのが工芸指導所だった。日本のデザイン政策を担った国の機関である工芸指導所には、戦後デザイナーとして活躍する剣持勇や豊口克平も所員として務めていたし、ドイツのブルーノ・タウトや、フランスのシャルロット・ペリアンも、来日時に工芸指導所と関わっている。
工芸指導所が発行した機関誌「工芸ニュース」には、この時期のアメリカの工業デザインがたびたび紹介され、便利な家電製品や流線形の自動車の写真図版も掲載された。当時から日本でもアメリカの工業製品と、そのデザインが注目されていたことがわかる。しかし、この時期の日本に、アメリカのような工業デザイナーが登場することはなかった。日本が、アメリカ的な生活に憧れ、アメリカを手本に家電や自動車をはじめとする工業製品の輸出大国になるのは、アメリカとの戦争に敗れた後のことである。
島根県立石見美術館開館3周年記念展「アメリカの見た夢 1920-30年代の絵画、写真、デザインと日本」
会期:2009年1月2日〜3月9日
会場:島根県立石見美術館
主催:島根県立石見美術館、朝日新聞社、山陰中央テレビ
後援:関西アメリカン・センター
協賛:竹風軒