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2014.05.03 |
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コレクションシリーズ vol.15
American Designers of the 30s 第1世代のデザイナーたち
19世紀末から20世紀初頭、産業革命と工業化社会が発展したヨーロッパ・アメリカで、”芸術と技術の融合”の必要性を説く人々が現れた。彼らの多くは芸術分野出身であり、その思想の背景には溢れる無骨な工業製品への危機感と不満があった。当時工業製品の多くは技術者や設計者が開発からスタイリングまですべて担い、その結果美しさからほど遠い製品が大量に生産されたのである。ことに第1次世界大戦を契機に国力を高めた新興国アメリカでは、科学や機械技術への抵抗感が少なく、巨大で不格好な機械の固まりが氾濫していた。
1920年代、アメリカがウォール街の破綻にはじまった世界恐慌からの復興に苦しんでいた頃、彼らの何人かは、工業製品に新しいスタイリングを提案した。それらは使いやすく時代の感覚を取り入れたもので、人々を惹き付けるデザインはまたたく間に商業的成功をもたらした。また、1つの企業内にとどまらずさまざまな分野、製品に関わることで単なるスタイリングを越えた企画力を持つ”デザイナー”は、製造業界に欠かせない存在となっていった。
後に”アメリカをデザインした”とまで言われたレイモンド・ローウィは、ファッション・イラストレーターとしてキャリアをスタートさせた後、1920年代後期、イギリスのコピー機を手掛けてめざましい販売成果を上げ、アメリカでデザイン事務所を開いている。同時期、同じくイラストや広告のグラフィック業界で活躍していたウォルター・ドーウィン・ティーグはコダックの新しいカメラを提案して爆発的なヒットを飛ばし、舞台芸術を手掛けていたヘンリー・ドレフュスは電気掃除機など身近な電化製品から、後には国家的プロジェクトとなった万国博覧会のパビリオンを手掛けるなど、目覚ましい活躍を見せた。
彼らは、新しい技術とその魅力をわかりやすく、同時に美しい形で消費者に訴えることで商業的な成功を生むとともに、”人々に豊かさと美しさをもたらす”という信念の元に、実践を試みた。彼らのあるものは技術の進歩を見据えて未来の生活を変える輸送機関を提案し、また、あるものは当時すでに人間工学に基づいたデザインを研究、提言している。彼ら第1世代のデザイナーは生活の中で大衆の最も身近な存在である製品を手掛けることで、それまでの芸術にない面白さと意義を見出したと言えるであろう。また彼らは後年、初めての工業デザイナー団体を結成し、後進の教育にも力を注ぐことで未来への可能性を模索し続けた。機械化と工業化の中で人の美的感覚の重要性を職業として確立した業績は大きく、また残された製品は彼らの追求した美的水準の高さを今なお十分に伝えている。
主な作品
流線型ソファセット/ドナルド・デスキー/1934年
カルフォルニアで建築を学び1920年代にニューヨークで広告代理店を設立した、ドナルド・デスキーによるデザイン。ウィンドウ・ディスプレイや家具のデザイナーとして頭角を現し、ラジオ・シティ・ミュージック・ホールのインテリアも手掛けた彼のデザインは、モダンでシンプルな美しさを特徴とする。赤と黒の強い色調と1930年代特有の流線型を大胆に取り入れたフォルムが強い印象を残す。(写真上)
グローブ・ラジオ/レイモンド・ローウィ/コロニアル社/1935年
1940年代に「ラッキーストライク」のパッケージで一躍その名を世界的に知られるようになり、後年日本の煙草「ピース」のパッケージも手掛けたデザインナー、レイモンド・ローウィ。著書「口紅から機関車まで」で知られるように、小さな日用品から工業製品まで分野をまたぐ活躍を見せた。この地球儀型ラジオは比較的初期の仕事で機能性とともにインテリアとしての楽しさと装飾性を兼ね備えている。(写真上左)
アメリカン・モダン・ディナーセット/ラッセル・ライト/デザイン1937年、製造1939年
“アメリカン・モダン”の名のとおり、1940年代に中流階級の若い世代を中心に大人気となった食器セット。流線型を取り入れたデザインは当初、ノーマン・ベル・ゲデスらと共に舞台美術やコスチュームのデザインをしていたラッセル・ライトによるもの。この作品で一躍テーブル・ウエアのデザイナーとして成功を収め、後にアメリカン・スタイルとも言えるプラスチックの食器もデザインしている。(写真上右)
ベビー・ブローニー・カメラ/ウォルター・ダーウィン・ティーグ/イーストマンコダック社/1938年
コダック社の樹脂製カメラ。初心者向けのこのカメラには軽く遮光性に優れたベークライトが使用された。それまでグラフィックの仕事を中心にしていたティーグが手がけたこのカメラは軽量小型、また樹脂素材ならではの自由なスタイリングで入門編カメラのヒット商品となった。このモデルを基本にモデルチェンジを繰り返し1950年代まで生産され、一般ユーザーの拡大に大きな役割を果たした。(写真上)
カクテル・シェーカーとトレイ/ノーマン・ベル・ゲデス/1934年
ノーマン・ベル・ゲデスは乗物などの工業製品からキッチン製品まで幅広い分野のデザインを手掛けた。また、著書の中で流線型の輸送機関のプランを提案し、話題をさらった。当時優れた金属製品を数多く手掛けたリヴィアー社から発売されたこのシェーカーセットは、これ以上ない程シンプルなフォルムに1930年代ならではの階段状のラインが効果的な美しさで使われ、華やかなスタイリングとなっている。(写真上左)
バキューム・クリーナー/ヘンリー・ドレフュス/フーヴァー社/1940年
アメリカで芸術を学んだドレフュスは舞台芸術の仕事からデザイナーに転向した。ベル社の電話機、このフーヴァー社の掃除機など、工業製品のヒットを飛ばした。理論的にデザインを捉え、その思想を広めることに尽力した。1939年には1930年代のアメリカを象徴する国家的プロジェクトとなったニューヨーク万国博覧会のパビリオンを設計、独創的な設計で高い評価を得た。(写真上右)
クロック「ゼファー」/ケム・ウェバー/ローソン・タイム社/1934年
流線型を取り入れた個性的なフォルムと金属色がモダンな時計。ドイツ出身のデザイナー、ケム・ウェバーは、第一次大戦を機にアメリカに移住し、ヨーロッパで学んだ知識を元に新しいデザインを次々と生み出した。中でも1920年代から30年代の新素材だった金属の使い方が巧みで、彼のデザインしたスチール・パイプの家具は実用性の高さからも、後年類似品が大量生産された。(写真上)
デザインミュージアム・コレクションシリーズ vol.15
「American Designers of the 30s 第1世代のデザイナーたち」
デザイナーという言葉が職業として社会で広く評価され、認知されたのは1930年代のアメリカでのこと。第1次大戦の後、経済大国として発展した国で生まれた新しい職種であり、役割を担った当時のデザイナーらは、不況にあえぐアメリカ経済に大きな役割を果たした。本企画では、当時活躍した代表的なデザイナーを取り上げ、家具や工業製品、食器等約60点を関連資料とともに展示、その活動を紹介。
会期:2010年3月26日(金)〜5月9日(日)
会場:国際デザインセンター・デザインミュージアム
主催:株式会社国際デザインセンター